人気の美肌レーザーコースは人数限定です
人気の"大江橋マジック" をはじめとする総合美肌レーザーコースは他のクリニックとは一線を画する独自のコースです。リピーターが多く新規の予約枠は希少です。
最大の特徴は、患者さんがメニューから「〇〇レーザー」での治療を選ぶのではなく、お肌の状態や症状から医師が使用するレーザーを決定し組み合わせて治療することです。レーザーの種類によって治療費が異なることはなく、当日の症状によりケミカルピーリングやイオン導入、超音波導入、多種類のレーザー照射、皮膚科専門医の診察をシームレスに組み合わせて一連の治療が構成されます。
もし治療方法や使用機種ごとに治療費が異なったり追加料金が発生したりすれば、患者さんはどの治療が最適か判断する際に「どれが安いか」に影響されてしまい、ご自身に向いている治療を提案されても「より安い方」を選択してしまうかもしれません。また「高い方が効果がある」かのような印象を持ってしまうかもしれません。適切な治療法を選択する際に、治療費の凸凹は有害な情報です。
大江橋クリニックでは治療はすべて医師が皮膚の状態を見ながら行い、その場で効果判定し、必要であれば血液検査を行ったり、次回再診までの内服薬や外用剤等も処方します。血液検査や処方するお薬については症状により健康保険で院内処方します。治療に直結しないドクターズコスメや医療サプリ等の購入をお勧めすることはありません。
お肌のトラブル・悩み全般に対応しています。まず診察を受けていただき、改善に至る治療の道筋を医師と一緒に考えていきます。シミがあるからシミ取りレーザー、シワがあるからボトックス、ほうれい線にはフィラー注射、のような短絡的な治療でなく、お顔全体・お肌全体の総合的な改善と若返りを目指します。分類上レーザーコースとなっていますが、治療の過程で注射や手術治療につながる方もいます。術後の回復を早めるためにまたレーザー治療に戻ったり、お顔の治療から体の傷跡や色素沈着の治療に移行したり、お悩みに合わせて臨機応変に対応しますので、心身の美容と健康維持につながる美容のファイナンシャルプランナーのようなものと考えていただいてもいいかもしれません。
コストパフォーマンスは他院の追随を許さないと思っています。一度にお一人ずつ、医師と1対1(治療内容により途中で医師が交代することはあります)で約1時間半〜2時間をかけて診察と治療にあたるため、1日数人しかお受けできません。
治療の詳細についてはトップページからのリンクも参照してください。
レーザー治療は必ず医師が行ないます
すべてのレーザー治療の基本はレーザーの波長、パルス幅(1ショットごとの照射時間)、フルエンス(出力エネルギーの単位面積あたりの強さ)の組み合わせと言えます。 これに加えてハンドピースの口径(レーザー光の直径)、ショットごとのオーバーラップの程度、照射間隔、照射面積内の光の分布(例えばガウス分布かトップハットか、フラクショナルモードか)、皮膚との距離や角度、皮膚への密着の程度と圧迫、皮膚の温度と冷却法、部位ごとの特性(血流や皮膚の厚み、角層の厚さ、下床に骨性組織があるか、血管と神経の走行、色素沈着の程度)などが治療成績に大きく影響します。これらを総合的に判断するには技量が必要です。
例え全く同じ機械から同じ強さの光が発射されたとしても、照射光が皮膚に直角に入射した場合と斜めに入った場合とでは反射・屈折・散乱の程度がかなり異なりますし、ハンドピースを皮膚から2、3ミリ浮かせるだけで入射エネルギーが10%以上減少し、機種によっては冷却スポットと照射スポットのずれが拡大して皮膚温が上昇したりします。連続照射ではハンドピースの動かし方の微妙な違いで皮膚温が上昇して皮膚障害につながることもあります。
レーザー治療は、以前はレーザー手術と呼ばれていた通り、照射に技術を要する医療行為です。大江橋クリニックでは、レーザー照射は必ずレーザー治療に長い経験を持つ医師が直接行います。レーザーの効果の差は機種よりも照射する技術の差によります。同じ機械を使用しても、熟練者と経験の浅い施術者では治療効果に大きな差が出るものです。
医師の明確な指示があれば看護師がレーザーを照射することも違法ではないかもしれませんが、医療行為である以上、看護師の判断で勝手に出力を上げ下げするなど医療事故や患者さんの危険に直結する治療条件の変更は、医師の指示なく行うことはできません。シミやあざのレーザー治療だけでなく脱毛レーザーやIPLなどを用いた光治療、ケミカルピーリングなどについても同じです。これらは厚生労働省通知により医師免許が必要な医療行為とされています。医師免許が必要とは、人体に対する知識が医師と同程度に深く、事故の際に適切な対応が取れるということを意味しています。残念ながらきちんと守っていない施設もあります。
毎年新しいレーザー機器がたくさん発売されますが、ほとんどが既存のレーザー機器の僅かな改変にとどまっており、画期的なものはむしろ少ないといえます。新機種としてproとかMaxとかⅡとかいう添字がついていても、液晶画面が大きくなったり最高出力や最大直径が数%大きくなった程度の改良であることも少なくなく、実用上は旧機種の方が安定して稼働したりすることもあります。
皮膚の状態に合わせて照射エネルギーの設定を適切に変えること、照射回数やタイミング、順序などを工夫することで、同じ治療でもできるかぎり効果が上がりダウンタイムがなくなるように努力していきます。
さまざまな耳介の変形に対応できます
耳介形成術は耳の軟骨と皮膚を用いた彫刻・工芸のような手術です。材料となる変形した耳介には一つとして同じものはありませんが、完成形を予測して皮膚を切開し、軟骨から剥離し、変形した軟骨は削ったり曲げたりしながら理想に近づくよう縫い合わせていきます。
立ち耳を寝かせる手術やピアスの耳切れをつなぎ合わせる手術のように、一応の基本術式があってそれに従えばうまくいく場合もありますが、柔道耳のような外傷性のものや、ケロイド、スタール耳などは患者さんごとに全く形が違いますし、後から思い出して絵を描くこともできないくらいその時その時の直感に頼って手術を進めていかなければならないこともあります。
人事を尽くして天命を待つ、と言いますが、事前に思い描いていたやり方では歯が立たず、「神様が降りてくるのを待つ」ような心境で全く事前に考えていなかった部分で軟骨を切ったり曲げて組み合わせてうまくいくこともあります。
大江橋クリニックでは開業当初から耳の手術をたくさん手掛けていましたが、最初はピアスの耳切れや立ち耳など、今では様々な美容外科も行うようになった割合簡単な手術が大部分を占めていました。最近では遠方からの患者さんが増えるとともに、他院で行った手術の再手術や非常に複雑な変形など難易度がどんどん上がってきました。
耳の手術を専門にしようと思ったのは、研修医時代の京都大学形成外科が耳介形成手術の世界では非常に有名であったこと、冨士森形成外科で耳介軟骨の扱いを深く学んだこと、岸和田市民病院でいくつかの難しい症例を経験し自分なりの術式を考えたこと、ドイツ留学でヨーロッパ式の立ち耳手術をたくさん見たこと、など様々な経験が土台となり、手術に自信があったことが大きいのですが、最大の理由は開業当時は著名な美容外科で耳介の手術を治療メニューに載せているところがなかったことでした。それなら大江橋で質の高い手術を提供できれば救える患者さんがいるだろうと思ったのです。
耳の手術の欠点は時間がかかることと麻酔が切れた後痛むことです。ケロイドや柔道耳などは術後に再発したり後戻りが見られたりすることもあり、また一通り形を整えた後時間をおいて細かい部分を仕上げる再手術が必要になることがあります。形を保つためテーピングをしていただいたり、腫れを引かせるために術後にレーザー治療を追加する場合もあります。
行っている施設がまだまだ少ないため、遠方からおいでになる方も多く、術後の診察回数を減らす工夫も必要で、まだ発展の余地がある手術です。
瞼の手術は独自の術式で行っています
上の写真は眼瞼下垂の症例です。男女で求める印象が異なるので、皮膚切開する際のデザインに工夫が必要です。
瞼の手術は研修医時代、兵庫県立尼崎病院で眼瞼下垂症手術を多数経験したことに始まり、冨士森形成外科時代には義眼床の再建で多くのことを学びました。自分のキャリアの中心にしようと思うようになったのは、ドイツ留学から帰国した後、研修医時代に教えていただいた先生に再び教えていただくことができた京都桂病院あたりからです。その後城北病院時代にまぶた外来を開設して京都市内の多くの眼科から紹介を受けるようになり、京都専売病院(当時)眼科に隔週で出張して眼科の先生が用意してくれた患者さんに対して手術を行うようになったりしてからなので、年数としてはまだ20数年といったところです。
大江橋クリニックでは開業当初から眼瞼下垂症の診断に力を入れてきました。多くの美容外科で、単に儲かる二重手術といった考えで正確な診断をつけずに安易に行われていることを憂慮し、なるべくきちんとした手順を踏もうと色々と勉強しました。術式は年毎に変遷を重ね、現在眼科や形成外科の手術書に様々な先生が発表されている方法のどれとも細かなポイントが異なるので、そうした点をいずれまとめてみようと思っています。
単純な二重の手術は開業してからはほとんどやらなくなりました。特に避けているわけではありませんが、大江橋クリニックといえば眼瞼下垂ということになっているようで、普通の埋没法や切開法の適応となる患者さんはほとんど受診されません。
瞼の手術は二重や眼瞼下垂だけでなく、様々なできものをとったり、たるみを改善したりする手術も多数行っています。眼瞼黄色腫や大きなホクロなど、単純に切除縫合すると変形したり重瞼ラインが乱れたりする場合に適切な皮弁を移動させて美容的にも問題のない手術をするのは難しいものです。また下眼瞼のたるみに関しては、通常の美容外科で行ういわゆる「脱脂(眼窩脂肪切除)」やハムラ法などの眼窩脂肪の移動手術には少し問題があると思っていて、独自の手術を工夫して行っています。
いずれにしても瞼の手術は顔全体の印象を大きく変える手術になるので、まずは十分に患者さんの希望を伺い、どのような方法が良いのかご相談したいと思っています。
ご相談内容を前もってお聞きする完全予約制です
良質の医療を提供するため完全予約制とし、美容の患者さん優先の体制にしました。見た目に関わる(美容系の)ご相談は全て自費でお願いします。保険診療は基本的には美容レーザー継続中や手術後の患者さんに限らせていただきます。
無駄な質疑応答時間を極力減らして内容のある診察にするため、問診票を兼ねた「予約フォーム」による完全予約制にしています。前もってお知らせいただいたご相談内容によって、診療受付時間を調整してお返事を差し上げています。内容によってはお受けできないこともあります。
通常の診療時間枠の診察に関しては、特別な予約料は不要です。
大江橋クリニックは開業以来、一人一人の診察に時間をかけてお悩みの本質をきちんと診断し、患者さんにご理解いただける言葉を選んで詳しく説明し、「なぜそうすべきなのか」納得いただいた上で患者さんとともに治療を進める方針をとっています。
こうした診療は保険診療という薄利多売的な医療に馴染みません。厚生労働省の想定する診察時間は多くの傍証から初診15分、再診3分程度と思われます。
診療の質を維持するため、完全予約とし自費診療の患者さんを優先します。もちろん美容診療を行なっている患者さんが保険診療を併せて受けていただくことは(混合診療にならない限りにおいて)可能です。
保険の薬だけ欲しい、なるべく安く治療したい、美容相談をするつもりはない、そうお考えでしたら大江橋クリニックには向いていません。他に沢山ある医療機関をご利用ください。
初診には時間がかかります
混みすぎないよう特段宣伝もせず看板もあげずひっそりと診療しておりましたが、一部の時間に患者さんが集中し大変混み合うようになり、完全予約制を導入しました。原則的に予約時間に受付していただきますが、初診の方はカルテ作成や問診内容確認のため診察開始より早めにご来院いただいています。
初めての患者さんの診察には予想以上の長時間かかることもあります。できるだけ時間をとってお話を聞き、診察し、お悩みの本質を明らかにして治療に取り掛かります。
予約時間に余裕を持たせてはいますが、前の患者さんの診療に時間がかかり、心ならずも次の患者さんをお待たせすることがあります。それでも時間に追われずじっくりと相談できる時間をできるだけ確保したいと思っています。
※ 大江橋クリニックには開業以来15年以上ずっと定期的に通ってくださる患者さんもいます。基本的には何度も通院してくださっている患者さんが優先されます。しかしそれを特権だとは思わないでください。他の患者さんへのご配慮をいただけない場合は、それなりの対応を取らなければならない場合もあります。
最新の治療 ではなく最善の治療を
大江橋クリニックでは、広く認められた正しい医学知識に則り、美容治療・保険診療とも、正統的な治療を行なうことを基本方針としています。
学会の治療ガイドライン等があれば出来るだけそれに従い、怪しげな治療法は出来るだけ排除します。
美容治療では往々にして最新の治療がもてはやされますが、最新は必ずしも最良ではありません。リスクも多く、実験的な治療となります。
効果の不確かなもの、副作用情報の出揃わないものは排除し、できる限り根拠と実績のある治療を行なって行きます。その結果、最新の医療機器、治療薬等の導入には慎重となるため、治療法が古臭いと感じられる方もあるかもしれません。それでも大江橋クリニックは実績と確実性を重視します。
多くの一般的な美容外科では、即効性を重視し短期的な効果を追い求め、治療そのものも短期間で終了して半年後、一年後の経過を追いません。そのため、例えば1年後に出てくる副作用や後遺症などには関心がなく、自分たちが後遺症を量産しているという意識もないでしょう。大江橋クリニックでは、一過性の満足が長い後悔に繋がらないよう、長期的な視野に立って診療を進めています。
治療には患者さんとの協力関係が必須です
病気は医者が治すものではありません。医師は患者さんのガイドですが、頂上へは患者さん自らの足で歩いて登らなければなりません。
定期的に通院することは非常に大切です。大江橋クリニック定番のレーザー治療コースなどは、毎月続けるだけで他に取り立てて頑張らなくても綺麗になっていく治療です。
しかしトラブル肌に自宅で薬を塗るのも、術後にテーピングをするのも、異常に気づいたらすぐに連絡して診察を受けるのも、患者さん自身の努力が必要です。飲まずに・塗らずに治る薬はありません。これくらい我慢できるからと放置すれば再発したり悪化したりする病気も数多くあります。術後は定期的にケアしないと綺麗な傷跡にはなりません。特に美容手術後数ヶ月間の不適切な術後管理は結果を左右します。
間違った方向に歩いたら、その分時間をかけてご自身で元の位置に戻らなければなりません。
治療とは、医師と患者さんが戦友となり、肩を並べて病気と戦うことです。医療不信により最初から敵対的な態度を取る患者さんがまれにいますが、医師と患者が戦っていては共通の敵には勝てません。診察の際にはできるだけ情報を共有し、原因を探り改善方法を探ります。他院で治療を受けたのにしていないと嘘をついたり隠し事をしたり、都合の悪いことをごまかしたりする間柄では戦友にはなれません。共通の敵・病気と安心して戦うために、毎回写真を撮って記録を残すとともに、できる限りの情報を共有したいと考えています。
最初のうちは何度もこまめに通っていただく
治療方針をご理解いただいた上で、できるだけスピーディーに症状が軽快するように工夫して行きます。患者さんの症状や体質は人それぞれです。特に初期の間は、頻繁な診察で軌道修正を図っていく必要があります。
患者さんの状態を見ながら、短いスパンで薬や治療法をどんどん変更していくことも時には必要になります。大江橋クリニックの特徴である美容レーザー治療に関しても、患者さんにより1回毎に照射条件を変えたり他の治療法を併用したりするため最初から何回コースのようなクーポンを販売したり決まった間隔で同じことを繰り返したりする計画は立てられません。照射後の診察は軌道修正してより良い結果を得るために必須です。
美容手術や形成外科手術にしても、まず体調管理に気をつけて良好な術前環境を作り、患者さん毎にふさわしい術式を選択するために、必要であれば手術までの間にも何度も通院していただきます。術後も、抜糸したら通院不要、1ヶ月みたら終わり、ではなく、手術翌日から頻回に診察し、回復を促進するための治療や指導を行います。腫れが引いて形の変化もなくなり本当に治ったと言えるようになるまで数ヶ月から場合によっては数年にわたり診察します。こうすることで術後の変形など不測の事態を未然に防ぎ、出来るだけ傷跡が気にならない、不満の少ない長期結果が得られるよう工夫をしています。
この方針は遠方からおいでになる患者さんでも変わりません
大江橋クリニックには北海道から九州まで広範囲から患者さんがおいでになります。(過去に治療した方の中にはハワイ、ニューヨーク、パリ、あるいはエストニア、ロシア、ドイツ、カタール、シリア等にお住まいの患者さんもいました。)長距離バスや新幹線、飛行機で(あるいは帰国のたびに忙しい旅程の中)何度も通院していただくのは時間もお金もかかり大変なことは承知していますが、例え国外からの患者さんであっても治療中は定期的に通院していただきます。それができない患者さんの治療はお引き受けできません。通院にご協力ください。
治療終了と言われるまで続けてください
治らないから医者を変えてみる、というのは良い戦略ではありません。治らない理由を治療のプロである医者と一緒に考えるべきです。どの医師もはじめての患者さんに対してはまず一般的な治療法から試してみるものです。最初から特殊な治療を試みる医者は怪しいと思うべきです。どこに行っても同じことを言われる、同じ治療を提案される、同じ薬しか出してもらえない、というのは、真っ当な医師に出会っている証拠であり、実は当然なのです。
一般的に医師の方が患者さんよりも、医学知識も経験も豊富です。うまくいかない時にはどこが合わないのか医師と納得するまで相談しましょう。一般的な治療でうまくいかない時、隠れた原因を探るには、お互いの常識「当たり前」を疑ってみる必要も出てきます。顔の洗い方、薬の塗り方、職場環境やペットとの接触、通勤経路、好きな衣服の素材、食事習慣など思いもかけないものが肌トラブルの原因になっていたりします。例えば顔の赤みが引かないという患者さんの例では、その患者さんが来院されるたび職場スタッフの一部も顔が赤くなるという現象から、患者さんの衣服にホコリやダニなどが付着している可能性を考え、自室の頻繁な掃除を提案させていただいたこともあります。その患者さんは掃除機を所有されていませんでした。
手術やレーザーの後はもちろん、様々な皮膚のトラブルは、調子が良くなってからのひと頑張りが再発を防ぎ、完治に結びつきます。
だいたい良くなったから、と通院を途中でやめてしまうと、残っていた種火が徐々に勢いを増し、前よりも治療が難しくなってしまうことがあります。これでよし、終わり、もう大丈夫、というまで治療は続けてください。後一踏ん張りが一生の快適さにつながります。
二人の医師が守備範囲を分けています
院長・井上と副院長・小川は、違うようで良く似た、同じようで一味違う経歴を歩んできました。二人とも形成外科と皮膚科、両方の研修を経てキャリアを重ね、美容外科クリニックでの勤務経験も長く、一人で美容外科・美容皮膚科を開業しようと思えば出来たでしょう。
しかし、不思議な出会いを経て二人はお互いに信頼しあい、自分のより得意な分野に診療の中心を少しずつシフトし、協力して診療に当たる形成外科医と皮膚科医になりました。(お互いの得意分野は治療を続けている患者さんにはお分かりと思います。)これまで十数年の間、二人が隣同士の診察室で別々に診療しながら互いの診療を折に触れて手伝い、重なり合う部分もありながら原則的に守備範囲を分けることで、全体としての大江橋クリニックは、より大きく深くなりました。
完全予約をきっかけに、二人の診察は融合し、一つの診察室で出入りしながら交代して診察したり、時には同席して治療にあたるようになりました。もちろん今日も、お互いに相談しあい、相手の領域を、意見を尊重しながら、できることは協力して日々の診療に当たっています。
切開処置や手術、レーザー治療など外科的な処置が主体となる症状は主に院長が担当し、塗り薬・内服薬や皮膚科的な治療が診療の中心になる、じっくりと説明を必要とする症状は副院長が受け持ちます。それぞれの医師が自分の持ち味を生かし連携して治療に当たっています。同じ症状に対しそれぞれの医師が違う言葉・表現で説明したとしても、本質的には同じ医療であることを、大江橋クリニックでの二人の診察を経験した方は理解していただけると思います。
手術やレーザー治療に際しては、充実した治療をゆっくりお受けいただけるように、予約枠もゆったりと設定しています。5分刻み、10分刻みではなく、半日に1人か2人の予約しかお受けしていません。特に手術やレーザー治療中は万一に備え二人の医師が揃って患者さんを見守る体制をとっているため、施術時間にはその他の診療はストップし、院内はその患者さんの貸切状態になるようにしています。今まで深刻な事故やトラブルは1件も起こしていません。その反面、予約が取りにくかったり長時間お待たせする場合も生じます。
美容の患者さんには居心地の良い空間を
美容手術もレーザー治療も完全予約制として、できるだけゆったりと治療できるようにしています。
診察室の奥には美容治療と手術・レーザーの患者さんだけがお入りいただける専用スペースをご用意し、ここちよくお過ごしいただけるようにつとめております。「レーザー室」前には洗面台やドレッサーのある専用待合室がしつらえてあります。「手術室」前にも専用更衣室があります。
専用待合室やレーザー室に飾られている様々な絵画や家具調度は、時々取り替えて雰囲気を変えています。取り立てて説明や表示はしていないため気づかれにくいのですが、絵画や家具類の多くはオーダー品、特注品、一点ものであり、あまり他ではご覧になれないものです。国内でもほぼここにしかないレーザー機器と共に、大江橋クリニックの特徴となっています。稀少性に気づいていただけると嬉しいです。
基本的には患者さんの予約が重ならないように工夫しており、美容のコーナーではお一人で自由にお過ごしいただけます。
個人情報保護とセキュリティについて
セキュリティには力を入れており、玄関、待合室、受付には赤外線感知システムと連動した監視カメラが複数設置され、盗難や犯罪を未然に防いでいます。外部からの問い合わせには本人確認を徹底するなど、個人情報保護には細心の注意を払っています。
バリアフリーにも配慮し診察室までは段差なくお入りいただけます。ビルの防災センターとも連携し、安全に気を配れるようになりました。何かトラブルがあれば天満警察署からもすぐに駆けつけてくれることになっています。
患者さんの個人情報管理にも注意を払っています。外部からの電話やメールでの問い合わせには、ご本人からと確認が取れない限り応じません。病名や通院履歴はもちろん、些細な情報であってもご本人の同意がない限り外部には漏れないようにしています。
入院設備はありません
入院設備はなく全身麻酔を必要とする手術や救急対応は行っていません。複雑な症状に関してはさまざまな分野の協力医療機関にご紹介するポータル機能もあります。
※ 他院紹介については こちらを参照してください。
おとなの診療をするクリニックです
原則的に15歳未満の患者さんの初診は受け付けていません。お子様はまず小児科受診をご検討ください。
保険証またはマイナンバーカード・身分証は毎回必要です
大江橋クリニック誕生までのエピソード
大江橋クリニックは、形成外科医長として京都市北区にある城北病院(現・北山武田病院)に勤務し美容外来・まぶた外来などを担当していた井上研と、関西医科大学皮膚科に籍を置きながら開業準備のため様々な病院で皮膚科だけでなく形成外科・美容外科の研修を重ねていた小川基美が、2005年に出会い、お互いの診療方針と患者さんに真剣に向き合う姿勢に深く共鳴し、一緒に仕事をする場所を求めて作り上げてきたクリニックです。
納得できる医療を実践する場所を作りたい
自分で選んだ使い勝手の良い医療機器、コストに縛られない良質な医療材料を使って最善の治療をしたい。病院勤務では限界がある。なんとか自分たちの技量を最大限に発揮し、患者さんへの思いをストレートに表現できる場所を作りたい。そのためには、自分たちだけで開業するしかない。
そうした思いから、病院を退職して開業場所を探し始めたのは2006年のはじめ頃でした。
東京、名古屋、京都、神戸、様々な都市が候補に挙げられました。札幌にも福岡にも診療圏調査に行きました。開業地の候補を大阪に絞り込むまでに1年近くかかりました。大阪の中でも様々な美容外科の林立する梅田周辺や心斎橋などではなく、もっと文化的に深みがあって落ち着いた場所を選びたいと思いました。
色々悩んだ末大阪城の見えるとある商業ビルのワンフロアを借りてクリニックを構えることを決心し、ほとんど契約寸前まで行った時に、大阪市役所のすぐ北、堂島川を渡った大江橋北詰に5階建ての新築オフィスビルができたことを知りました。
大江橋北詰の東側一帯は、大阪天満宮の西にあたり西天満と呼ばれています。西天満は庶民的な下町が多い大阪市内にあって、かつて各藩の蔵屋敷が立ち並んでいた日本経済の中心地・堂島にも近く、今でも乾物や海産物の問屋などが多い裕福な土地柄で、骨董街として有名な老松町をはじめ古くからの上品で高級な店が並んでいました。歴史ある料亭もあればミシュランの星付きのレストランもいくつもあり、大阪高等裁判所・大阪弁護士会館や天満警察署もすぐ近くにあって夜遅く歩いても非常に安全だというのも決め手になりました。御堂筋に出たところにアメリカ合衆国の領事館もあるため機動隊車両が常駐し、町内を警察官が24時間巡回していますし、クリニックの数件先の交番にはパトカーも常時待機していますから、大阪府警の犯罪マップを見ても車上荒らしすらほとんど発生しない緑一色の地域(赤ほど危険)でした。
また、朝日新聞大阪本社や日本生命、セキスイ、電通、博報堂など日本を代表する企業の関西の拠点も徒歩圏にありました。日本銀行だけでなく三菱UFJや三井住友などのメガバンクの大阪中央支店もすぐそこです(当時)。クリニックの裏は川を挟んで大阪市役所が目の前に見えています。その東側には赤煉瓦が美しい中央公会堂、東洋陶磁器美術館、中之島ばら園が並び、100年の歴史がある堂島ビルや夜景の美しい水晶橋など、大阪でこれほど美しく落ち着きがあり客層が上品で夜も安全なところは他にないと思いました。
当初考えていたワンフロアを間仕切りするという通常のクリニックスタイルでなく、ビルをまるごと一棟使うという新たなコンセプトは、二人にとって色々な意味でチャレンジでした。
しかし、最上階にガラス張りの広くて明るい手術室、統一感を持ちながら各フロアで異なるインテリアデザイン、フロアごとに個室感覚で使える上品な待合室、ラグジャリーな環境でゆったりと過ごしていただけるエステ室、回転する施術台の周囲を取り囲むようなレーザー群、さまざまな過ごし方ができる数種類の椅子、壁一面の鏡といった様々なアイディアが形になり、従来のビル診療所とは一線を画するクリニックとしてスタートすることになったのでした。
設計には色々こだわりました
全く同じデザインの収納棚も手術室とエステ室は色と材質を変えて制作。手術室は無彩色で反射を抑え、エステ室は暖色のピアノ塗装で高級感を演出した。
思いを形にするための設計を誰に託すか。この後述べるように、大江橋クリニックには父と叔父が半世紀にわたって地域医療を支えた「井上医院」の後継という意味合いもこめたいと考えていました。そこで父たちの診療を支えた名建築「旧・井上医院」の基本設計者である日総建OBの叔父(日本の超高層建築の黎明期にKDD新宿ビルを設計した建築士です)に相談し、日総建関西支社の山下和源先生にお願いすることにしました。普段裁判所などの官公庁や学校など大規模な設計を主に行なっている大会社ですから通常なら名も無い個人医院の設計を受けてもらえるはずもないのですが、快く引き受けていただき、建設会社も大手の共立建設に決まりました。
事務系のオフィスビルとして一旦竣工していたものをクリニック仕様に作り変えるため、玄関ドアを移設し空調の位置を見直し、重い医療機器を置く場所にはOA床をコンクリートで補強するなど大規模な改良を行いました。レーザー機器を数台入れるため電源は関西電力と交渉して最大限まで強化してもらい、エステ室や手術室に清潔なお湯を供給する温水器も屋上に増設しました。事務用の給湯室は患者さん用の洗面化粧台に入れ替え、スタッフ間のインカム通話を支えるWIFI環境も整備しました。
照明のついていなかった看板には夜間診療の際に初めての患者さんが見つけやすいよう高出力の照明を設置、緊急時の動線を確保するため非常階段のロックも電子的に解除できるよう工夫しました。
こうした数ヶ月に及ぶ様々な工事の合間に、患者さん用の椅子や鏡、仕事用の什器を選ぶため時間をかけて各地を歩き、日本に数点しかない家具や特注品、輸入品などを揃え、どこにもない大江橋クリニックだけの待合室を作り上げ、年末になってようやく開業に漕ぎ着けることができたのでした。
大江橋クリニックの誕生と名前の由来について
ビルは大阪市役所の北向かい、御堂筋の大江橋北詰交差点から少し東側に入ったところにありました。クリニックの名称は、現在では美しくライトアップされるようになった「大江橋」から取ることにしました。
その後平成20年10月には京阪電鉄中之島線が開通し、その名も「大江橋駅」が誕生、そのすぐ後には大江橋が淀屋橋と共に重要文化財に指定されました。
大阪の地名としてはあまりメジャーではなかった大江橋も、大江橋クリニックの成長と軌を一にして徐々に多くの人に知られる地名になって行きました。
当時淀屋橋駅周辺には、半径500メートル以内に皮膚科も美容外科も一軒もありませんでした。私たちは、自分たちの医療をこの場所で実践するために高く旗を上げたいと思いました。
当時御堂筋の阪神高速沿いに並んで掲げられていた看板は、淀屋橋交差点から梅田方面を向いて左から「関西ペイント」「東芝」「リコー」「セキスイ」そして「アップル」でした。(現在は時代の趨勢に連れほとんどの看板が姿を消しています。)いずれも日本で、世界で一流の企業です。その中に割って入る形で、私たちはクリニックの看板を、思い切り背伸びして掲げました。
😅 後で当時の患者さんに聞くと、大江橋クリニックの看板の真下に本当に大江橋クリニックがある、とは思っていなかった人が多く、クリニックのビルを見つけるのに苦労したとのことでした。例えば大阪市役所の北側の窓からは、クリニックの看板が当時真正面に見えたのですが、市役所の職員さんですら川の向かい側にクリニックがあることを知らなかったといいます。なんで???
ある患者さん「そりゃそうでしょ、ふつうTOSHIBAやRICOHの看板の真下に東芝本社やリコーの工場があると思います?APPLEの看板の下にAPPLE STOREもないでしょ?」
大江橋クリニックという名前
個人開業の診療所の名称は「苗字+医院かクリニック」と決まっています。保健所がそのように指導しているからです。しかし院長の名字は井上。井上医院は大阪だけで50軒以上あり、新規開業してもインパクトはないし混乱が増すばかりです。どこの井上医院ですかと言われるに決まっています。
そういうわけで井上医院でも井上クリニックでもなく、大江橋の近くなのだから大江橋クリニックではどうだろうと考えたのですが、「地名+クリニック」は「その地区で一番良い医療施設という『誤解』を与えるので」好ましくないと言われてしまいました。しかしそこで引き下がるわけにはいきません。大阪市保健所には「大江橋は橋というピンポイントの名前であって付近一帯を指す地名とは言えない」という理屈っぽい理由書を出して「大江橋クリニック」という名前を認めてもらいました。(当時まだ京阪中之島線はなく、大江橋駅という名前も決まっていませんでした。大江橋が重要文化財に指定される前で、淀屋橋の北にある橋の名前を知っている人はほとんどなかったので、その理由にならないような理由で通りました。)
開業当時はどこに行っても大江橋を名字と思われて、大江橋先生と呼ばれて、それはそれで困ったものでした。
2013年に現在地に移転しました
大江橋クリニックはその名の通り大江橋の北詰すぐに誕生したのですが、開業から5年あまりで現在地、難波橋のたもとにある大阪JAビルの中に移転することになりました。交通の便もよく5階建ての独立した建物として看板も大きく掲げた「目立つ」クリニックから比較的短期間でオフィスビルの中に隠れるように移転したのにはいくつかの理由があります。
東日本震災後に周囲の状況が変わった
2011年の東日本大震災は日本全国に大きな影響を与えました。各企業の大阪支社・本社が集中している淀屋橋・大江橋周辺も例外ではなく、患者さんとして通院されていた多くの中堅社員が東北地方に救援に行き、あるいは東京からの救援に伴って足りなくなった東京本社に移動し、周辺の昼間人口が激減しました。それに引き続いてオフィスやレストラン、各種テナントの移転閉鎖が相次ぎ、活気のあった大江橋周辺もひっそりとして人通りがなくなりました。大江橋クリニックから御堂筋を渡ると有名な歓楽街「北新地」がありますが、そこも灯が消えたように静まり、クリニック周辺の大きなビルがいくつも丸ごと閉鎖・取り壊され空き地もたくさんでき駐車場に変わって行きました。夜も安心して歩ける街ではなくなり、犯罪者らしき怪しい人を見かけたりするようにもなりました。お付き合いのあった銀行の支店も閉鎖・移転し交番・警察署もビル建て替えに伴って一時遠くに移動してしまいました。
患者さんの数自体はむしろ増加しましたが、来院時間帯が変わり夕方の早い時間帯に集中して激混みとなり、2、3時間待ちが常態となりました。いわゆる客層も変わり、長い待ち時間にイラついて怒鳴ったりトラブルを起こす人も現れました。1階の受付スタッフだけでは対応できず、2階の診察室から応援に行かなければならなくなったこともありました。安全な場所で落ち着いて診療したいという思いが強くなり、翌年には移転先を探して近くのビル巡りをするようになりました。
ビル自体にも問題が生じてきた
各フロアを独立して使うためには、各フロアに常時スタッフが必要です。患者さんはエレベーターで移動するため、移動先のフロアで準備ができていなかったりドアがロックされていたりすると患者さんも困るしセキュリティ上も問題です。5階建てのため地下のスタッフルームを含めて6つあるトイレの清掃と見回りも結構大変でした。誰かが潜んでいるかもしれないし、気分が悪くなったり倒れているかもしれない。チェックインした患者さんとチェックアウトした患者さんの数を常に把握していないと災害時などに困ることになります。
川沿いにある建物だったので、地下の排水にはポンプで揚水する必要がありましたが、故障したのに警報が鳴らず、ビルの構造と電気の配線に欠陥があったことがわかったりもしました。(警報が鳴る前にブレーカーが落ちて警報装置が停電してしまう。)電力の制限もあり全てのレーザーを一度に立ち上げるとエアコンのブレーカーが落ちることもわかりました。
1番の問題点は、小さなビルだったのですぐ脇を通る阪神高速のためにビルが絶えず揺れていることに、だいぶ経ってから気づいたことでした。この揺れはわずかなため、普通に座って仕事をしていたり立っている時には全く感じないのですが、寝ているとわずかに揺れていることが感じられるのでした。明るい日の入る5階に手術室を作ったことが裏目に出ました。上の階ほど揺れが大きく、2階の診察室ではわからないが5階の手術台に寝て手術を受けていると、小刻みな揺れで次第に車酔いのように気分が悪くなってくるのでした。
長時間の手術後に気分が悪くなる患者さんが時々いて、手術台をわずかにヘッドダウンさせてみたり術後にソファーで休息してもらったりしていましたが、その理由がなかなかわからないでいました。ある時ふと思いついて自分で手術台に寝てみて初めて揺れていることに気づいたのでした。
次の移転候補は大きなビルのワンフロアを間仕切りするという通常のスタイルで行くことにし、移転先を探したのですが、これは開業時のビル選びよりもっと大変でした。分院なら問題ないのでしょうが、近畿厚生局から医療の継続性(今までの患者さんにそのまま通ってもらえる)という条件が付けられたのです。
移転の条件
移転しても今までと同じ大江橋クリニックとして診療を続けるためには、診療圏(患者さんが通ってくる範囲)が同じでなければならないことはわかっていました。ですから移転先としては、移転前のクリニックから徒歩で移動できる範囲の中之島から梅田までの間、1キロメートル以内くらいだろうと簡単に考えていてさまざまなビルを見て回ったのですが、実は同じ診療圏、診療の継続性とはもっと条件が厳しくて、単純に距離が五百メートルだからいいというわけではなく移転先との間に同じ診療科のクリニックがあってはいけないのだと言われました。
患者さんが新しいクリニックに移動する間の道に別のクリニックがあったら、患者さんはそこで止まってしまい、わざわざそのクリニックを通り越して新しいクリニックにまで行かないだろうというのです。無茶苦茶な論理ですが、保険診療ではクリニックの間に医療格差はなくどこでも同じ診療をすべきだということになっていますから、より近い方に行くはずだと言われると反論できないのです。(いえ、患者さんは大江橋クリニックの方に来るはずですと言えば、大江橋クリニックの方がその間にあるクリニックより優良だと言い張ることになり、保険診療の趣旨に反すると言われてしまいます。)
移転先との間に皮膚科や形成外科がない、という条件がつくと梅田方面はほぼ無理でした。南に下がるのも難しく(中之島を越えると北区から中央区にかわり医師会にも入り直さないといけないということもあった)中之島か堂島川の北側にほぼ限られます。
それでもいくつか候補地はありましたが、綺麗なビルで使い勝手も良いが水回り工事ができず洗面台が作れなかったり、ガラス張りの壁面に手を加えることができずレーザー室用の遮光ができなかったり、エレベーターが狭く避難経路に問題があったりとなかなか全ての条件をクリアできませんでした。
今のビルに入居できたのは本当に運が良かったと思います。私たちが移転を決める直前まで、現在クリニックのある場所は大阪市の水道局が8年以上使っていて、ちょうど契約更新の時期に当たっていたのです。少しでもタイミングがずれていれば、今の大江橋クリニックは全く別のものになっていたことでしょう。
大江橋クリニックの前身
昭和51年度第8回中部建築賞入選作品
これが父が叔父と共同で診療していた、正真正銘の井上医院。カラー写真ではないのが残念です。中部建築賞もいただいた4階建ての建物は外観こそ綺麗でしたが老朽化が進み、数年前に解体されました。
設計者は竹中建設となっていますが、基本の図面は日総建の叔父が引き、地元の建設会社に実施設計を引き受けてもらったのでした。
地域医療の核となった建物「井上医院」
昭和51年、当時株式会社日総建の役員をしていた、建築家の叔父・故・中村晃の基本設計により竣工した当時の井上医院。写真では見て取れないが、壁面煉瓦色陶板タイルは叔父が1枚ずつ選別して色むらの少ないものを選んで施工されており、同種の建物にはない落ち着いた色調で周辺の緑に溶け込むよう配慮されました。
将来の拡張や増築、メンテナンスに備え様々な工夫が施されており、水道・電気回路なども独立した2系統が重複して配管されるなど緊急時にも対応できる冗長性を備えていました。地上4階建ですが基礎は洪積層を貫いて花崗岩の岩盤に達し耐震性を確保(現在は当たり前になっていますが、当時の耐震基準を遥かに凌駕していました)。当時主流となっていた杭打ち機による鉄骨打ち込みでなく、周辺環境に配慮した騒音の少ない地盤の掘り下げとボーリングによる基礎孔掘削、コンクリート杭の挿入といった経費より安全性・静粛性を優先した基礎工事も、地域の賞賛を浴びました。いずれも、当時最新・日本初となる超高層ビル「KDD新宿ビル(現・新宿KDDIビル)」を設計し、関東大震災の10倍の地震に耐えると言われる耐震性を実現した叔父ならではの発想でした。
同年の中部建築賞受賞作品はほとんどが地方公共団体、学校法人、一部上場企業によるものであり、個人の建築物としての受賞は珍しい事でした。
2009年まで診療した「井上医院」
下の写真は解体され、跡地が公園となった「井上医院」跡。
父の遺志でビル解体後の跡地を薔薇の花壇を配した公園として整備し、地元に無償で寄贈されました。祖父も公民館や図書館を建てて寄贈していますので、それに倣ったものです。
現大江橋クリニック院長・井上 研の父・故・井上武雄は、昭和38年7月1日に「井上外科医院」を開業し、その後亡き叔父・耳鼻科医の井上孝雄と協力して「外科耳鼻科・井上医院」と改称して共同で診療にあたっていました。昭和52年には入院病床も拡張した新館(上記)を建築して移転。
休む事なく診療を続けて来た「井上医院」は、2009年12月末をもって「休診」し、その後閉院してその役割を終えました。
父と叔父によって半世紀近くにわたって維持された「井上医院」の、地域医療をにない患者さんを大切にする精神は、名称と場所を新たに2006年12月1日開業(保険診療は2007年1月4日開始)した「大江橋クリニック」に発展的に受け継がれています。
井上医院が現在の大江橋クリニックの基礎に
井上医院があって 現在の大江橋クリニックがあります
移転前の初代大江橋クリニックの玄関。当初事務所として建てられたためバリアフリーではなかった。
父は東大と並んで古くから脳研究所のあった新潟大学医学部を卒業し、戦後まだ日も浅い当時日本では珍しかった「脳神経外科医」として医師の活動をスタートしました。学位論文でもある「小児脳腫瘍の臨床的研究」は新潟大学脳研究所で行われた小児脳腫瘍の治療を分類評価したもので、当時の脳神経外科研究の標準的引用文献となったようです。
一方で皮膚科にも興味を持ち、見学にいったところ翌日には皮膚泌尿器科学教室に机と椅子が用意されていて困ったという話を聞いた事があります。
その後、秋田県、山形県、新潟県などの基幹病院で一般外科医としても研鑽を重ね、昭和38年に郷里に帰って「井上外科医院」を開業しました。(写真は開業直前、外科部長として勤務していた新潟の病院)
当初、外科、肛門科などを標榜して診療を開始した「井上外科医院」は、その後同じ新潟大学医学部出身の耳鼻科医である叔父を迎えて、「外科・耳鼻科 井上医院」となり、更に放射線科、皮膚科、内科と診療科を増やして発展して行きました。
叔父の病死により耳鼻科診療は休止となりましたが、半世紀の間多くの患者さんに恵まれ、長く診療を続けて参りました。
形成外科・皮膚科診療にも力を入れてきました
まだ形成外科という言葉すらなく、概念も定かでなかった当時から、父は「手術の傷跡をきれいに治す」ことを心がけており、米国で発表された論文に触発されて皮下連続縫合による皮膚表面に糸の跡を残さない手術などを行ったり、美容外科的な「でべその手術」などの各種手術法を工夫してきました。
また、現在の大江橋クリニックにも受け継がれている「痛くない注射のしかた」を工夫し、井上先生の注射は痛くない、と患者さんの評判を得ていました。
脳外科医としての修練を積んだ父は、脳の構造と機能に関心を持つばかりでなく、なぜそうなるのか、理論的背景を重視した診療を行ってきました。その考え方は、現在大江橋クリニックの院長となった私にも大きな影響を与えています。
大江橋クリニックのこれから
大江橋クリニックが誕生した2007年、まだ私たちは気づいていませんでしたが、世界は大きく変わろうとしていました。それから10年以上が経ち、世界の急激な変化とともに、大江橋クリニックも成長を遂げました。
2007年に世界が変わった
私たちが開業した2007年は、実は世界が変わった年でもあります。
1月4日、大阪市内の各家庭や会社では、お正月休みが終わって初出勤の朝の新聞の折込チラシの一番上に、「今まで治療をあきらめていませんでしたか?」という大江橋クリニックの開院チラシを目にした筈です。(このチラシを持ってタクシーで駆けつけてきたくださった患者さんもいました。)
奇しくもその5日後、1月9日、所はサンフランシスコ。世界を変える衝撃の発表が行われました。その会場には、こんなキャッチコピーが掲げられていました。
The first 30 years were just the beginning. Welcome to 2007.
(これまでの30年は序章に過ぎなかった。ようこそ、2007年へ。)
そうです、この年、iPhoneが世界に向けて発表されました。
17年前、iPhoneを知っている人は誰もいなかった
世界は初めてiPhoneを知り、今ではiPhoneをはじめとするスマートフォンは世界を全く変えてしまいました。
最近またジョブズのスピーチがAIが世界を変えるという予感と共に見直されています。20年ほど前には、どこか初めてのところに行くためにはあらかじめ地図をファックスして貰わなければなりませんでしたし、作成した文書を安全に相手に送るためには封筒に入れて書留にするため郵便局に持って行かなければなりませんでした。今では現金で支払いをしたことがなく封筒に郵便切手を貼ることも知らず、EメールやDVDすら古くて使い方がわからない世代が大人になろうとしています。
17年前、大江橋クリニックもこの世に生まれた
世界を変えたAppleと比較するのは大げさすぎるかもしれませんが、私たち大江橋クリニックも2007年に生まれ、その後の10数年で確実に地域医療を変え、美容医療の世界に美肌レーザーという概念を普及させ、眼瞼下垂診療を身近なものにし、それまでの十数年培った志を徐々に実現してきました。
周辺に美容外科どころか皮膚科もアレルギー科もなく無医地区に近かった淀屋橋〜北浜界隈は、今では10軒近くの美容クリニックが進出してそれぞれ専門的な医療を提供する美容クリニック激戦地になりました。タワーマンションが多数新築され、オフィスビルも大半が新築・改築されました。(現在も淀屋橋ツインタワーをはじめ次々と新しいビルが建設中です。)
美容診療の進化に関しては、美容レーザーといえば私たちが始めた複数のレーザーを照射してダウンタイムのない美肌を得る方法が今では一般的になりました。各都市に眼瞼下垂の手術ができる美容クリニックがたくさんできました。美容外科で立ち耳の手術ができるところも増えてきました。様々な美容治療が、患者さんが施設を選べるように、それどころか多様化し選択肢が多すぎて迷うほどになってきました。
患者さんが自分に合った医療機関を自由に選べる環境になってきたのですから、大江橋クリニックも、私たちの希求する医療を実践するために、診療の対象を得意分野に絞り、これからも進化を続けていきたいと願っています。
大江橋クリニックはこれからも進化を続けます
今後の10年、また世界は大きく変わることでしょう。
10年後私たちも変わっているはずです。医療のAI化は進み、遠隔診療もロボット手術も普及しているでしょう。通院しなくても自宅で診断を受け、薬を送ってもらう世界はすでに現実のものとなりました。医師のいない医療施設に通ってレーザーで皮膚を切開したり、自動縫合器で縫ったり、テープを貼ったりもできるかもしれない。
しかし、皮膚の微妙な手触りやかすかな匂い、湿り気や厚さは多分まだ、間に電波を介しては伝わらないでしょう。メスで切開を入れる時の手応えから瘢痕の流れを知り皮膚の伸びやすい方向を予測し、皮弁のデザインに微調整を加えるロボットは開発されないでしょう。照射した瞬間の反応を見てレーザーのハンドピースを僅かに遠ざけたり、オーバーラップする範囲を数%増やしたりする自動レーザー照射機は実現しないでしょう。
誰でも同じことができるように医療は進化していきますが、それでも職人技は残るはずです。その時こそ大江橋クリニックの強みは発揮されていくと思います。
その時どこで診療しているかはわかりませんが、10年後の大江橋クリニックは今よりもステップアップしていると信じています。今はまだ実現していない私たちの医療の理想形を、インターネットを通じてだけでなく、通院される皆様に直接お伝えできたらと思っています。
これからも大江橋クリニックをよろしくお願いいたします。